ニュースレター

ニュースレター KabashimaLawJournal 2016年11月発行 Vol.9

ハラスメントに対する初動について

■はじめに

Vol.8では,セクシャル・ハラスメント(セクハラ)及びセクハラ行為の会社の責任について大野弁護士より解説を行いました。今号では,実際に会社内でセクハラ等のハラスメントが行われてしまった場合に,どのような初動対応をすればいいのかを解説しようと思います。

■ハラスメントに対する初動対応マニュアル

手順の確認

まずは,落ち着いて手順の確認から始めましょう。規程やマニュアル等を作成している会社は,その内容に沿って対応を進めていくことになります。規程やマニュアル等がない場合や内容が不十分な場合には,【相談内容の聴取】→【事実関係の調査及び認定】→【認定した事実に基づく必要な対応(加害者への処分等)】→【被害者へのフィードバック】→【再発防止策の策定】といった手順で対応します。

(2)相談内容の聴取

ハラスメントの相談があった場合,会社はその事実関係を迅速かつ正確に確認し,適正な対処を行う必要があります(平成18年厚生労働省告示615号)。会社がこの対応を怠った場合,損害賠償責任を負う可能性もありますので注意が必要です(横浜地裁平成16年7月8日判時1865号106頁)。また,相談者・行為者のプライバシーに配慮して,相談担当者を一部の者に限定し,調査を行っていることや調査内容について無関係の者に口外しないようにしてください。

事情聴取を行う場合には,①相談者と行為者との関係,②相談者が問題としている行為者の言動等,③第三者へ抗議等を行っているのであればその情報,④メール,手紙,手控えメモ等証拠の有無,⑤相談者が何を求めているのかを聞き出します。

相談内容の聴取結果は書面にまとめ,②を聴取する際は,時系列・5W1Hを明確にしながら聞くように心がけましょう。多くの場合には,事実関係の確認のために,行為者にも事情聴取をすることになりますが,相談者が匿名を希望する場合には,相談内容によっては,行為者に事情聴取をする家庭で相談者が推認できてしまう場合があることを説明し,事前に理解を得ておくことが必要です。

(3)事実関係の調査

事実関係の調査は,①行為者からのヒアリング,②第三者からのヒアリング,③メール,手紙,写真等の客観的証拠の収集により行います。

事実関係の調査の後には懲戒処分等の事後対応も待っていますので,相談者と行為者との間で言い分が大きく食い違うような場合には,法廷闘争に発展する可能性も考えられます。

このような紛争の拡大を防ぐためにも,事実認定に争いがある場合には,早期のうちから専門家である弁護士を調査に入れることも検討してください。

■ まとめ

以上のとおり,ハラスメントの訴えがあった場合には,迅速かつ適切に相談内容の聴取及び事実関係の調査を行うことが必要です。日頃から会社としてそのような対応がとれる体制を整えておくことが重要です。

 

顧問先インタビュー(株式会社オーレック:今村建二社長)

1.株式会社オーレックの設立経緯について

かばしま法律事務所弁護士

当初、城島にて農業用機械の製作を始められたきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

今村社長

オーレックは、「大橋農機製作所」として、昭和23年に私の父が設立しました。父は、20歳の頃、伊豆半島のレーダー基地で終戦を迎え、実家の農家に一ヶ月くらいかけて戻ってきたそうです。そうして帰ってくる中で、終戦後の日本にいかにモノがないか、どれほどの人が困っているかを認識し、実家が農家であったこともあって、農家向けに役立つ仕事をしようと考えました。

父は、中学生の頃から飛行機の部品を作っていましたので、板金の技術がありました。そこで、板金を丸めて作ったポンプが最初の製品です。当時は本当に何もない時代でしたから、まずは食べ物増産のために農業に力が入れられていました。ですから、父の製品は飛ぶように売れたそうです。

なお、父も「今村」姓ですが、今村は養子先の姓で、父の本来の姓は「大橋」でした。父の家族も皆「大橋」だったことから、会社の名前は「大橋農機製作所」となったのです。

2.その後の業務拡大について

かばしま法律事務所弁護士

オーレックはその後、どのように発展してきたのでしょうか。

今村社長

物不足の時代でしたから、当初は何を作っても売れました。しかし、次第に似たようなものが市場に出回るようになります。そこで、父は、世の中に役立つ物を作り、真っ先に市場を切り拓かなければならないという気持ちを強くしたのです。

 

私は、1976年に入社しました。私は明治大学の工学部で機械を学びましたから、設計の仕事をさせてもらえるのかなと期待して入ったのですが、父からは「営業をしろ」と言われました。少しがっかりしましたが、仕事は上司から与えられるものですから、私は「わかりました」と言って、まずは一生懸命営業をしようと思いました。

私の担当は佐賀・長崎だったのですが、私は学生時代にアメリカに留学したり、世界をまわっていましたので、非常に窮屈に感じました。そこで、私は父に「全国で販売せないかんとやない」と進言すると、父は「先にやってから言え」と逆に発破をかけられました。

かばしま法律事務所弁護士

実際に今村社長は全国展開を行ったのですか。

今村社長

私は、当時まだ25歳で、販路拡大はベテランの方がした方がいいのではないかとも思いましたが、父の言うこともそうかと思いましたので、まずは自分でやってみることにしました。

埼玉の熊谷に営業所を作ったのですが、全く売れませんでした。たまたま売れた商品もあったのですが、大トラブルが起き、クレームだらけになりました。私は、毎日悪夢にうなされて、胃潰瘍になるくらい悩みました。しかし、どうすればいいかずっと考えていると、ふと解決策が浮かぶことがあるのです。私は、「ピンチはチャンス」と前向きに捉え、たとえ夢の中でひらめいたことでもすぐにメモし、翌朝にメモを見てつなぎあわせ、解決策をまとめるといったことを繰り返しました。その結果、新商品を生み出すことに成功したのですが、今度は大ヒットしました。このときの苦労があったからこそ、社長になってからの苦労も、「なんとかなる」と思ってしのぐことができています。

3.社長就任の経緯について

かばしま法律事務所弁護士

今村社長が社長に就任した経緯について教えて下さい。

今村社長

昭和63年に父が急病で倒れ、私が急遽社長に就任することになりました。当時、私はまだ36歳でした。この頃、弊社は創業40周年を向かえていましたが、父から、企業の寿命は30年だから、名前を変えてはどうかと提案されました。新社名はいろいろ悩みましたが、今後は世界展開を見据えていましたので、どこの国でも通用する名前にしようと思いました。オーレックという社名は「Originality、Realization、Essence、Challenge」の頭文字です。Oは、大橋の意味もあります。

4.オーレックのこだわり

かばしま法律事務所弁護士

オーレックのこだわりを教えて下さい。

今村社長

我が社の創業精神は、「世の中に役立つものを誰よりも先に創る」です。

よく、いろんな業界では市場競争のことを「パイの奪い合い」と表現されたりします。しかし、我が社では、お客様の要望を聞き、まだ市場にないものを他より先に生み出すことを社是としていますので、それまでの市場の外側に新しいパイを生み出すことに成功しています。そのような努力が実って、厳しいときもありましたが、我が社は創業以来一度も赤字はありません。

5. 苦労とやりがいについて

かばしま法律事務所弁護士

お仕事の大変な部分や、楽しいところはどんなところにありますか。

今村社長

やはり、開発には何年もかかる製品もありますから、その開発中は本当に大変です。我が社は世の中にないものを生み出そうとしていますので、開発にあたる従業員も大変だと思います。何年も形にならないと、やはり従業員も嫌になってきますので、私も一緒に悩み果てます。

嬉しいのは、苦労して形になったとき、製品として世の中に出せるときですね。すべての苦労が報われた気持ちになります。

6.かばしま法律事務所について

かばしま法律事務所弁護士

かばしま事務所にはどのような相談をされますか。また、今後期待したいところがありましたら教えて下さい。

今村社長

契約書の確認や、顧客からの問い合わせ内容について相談することが多いですね。

他には、従業員の個人的なトラブルを相談させてただいたこともありました。何かあったときに頼れるという安心感がありますので、今後とも変わらぬおつきあいをお願いしたいですね。

かばしま法律事務所弁護士

本日はありがとうございました。

 

弁護士雑記(中国・上海訪問記)

■はじめに

平成28年9月30日から10月2日にかけて、所長弁護士椛島、弁護士竹田、私の3人で、当事務所と業務提携関係にある、中国上海市の大成法律事務所を訪問いたしました。

■大成法律事務所

大成法律事務所は、中国で一番高いビル(世界で2番目)である上海中心(上海タワー)の中にあります。歓迎のボード掲示もあり中国のおもてなしの心に触れました。パートナー弁護士の 程家茂 先生や当事務所との窓口になっていただいている 楊民 先生をはじめとする4名の弁護士と中国の日系企業の現状や中国進出、撤退に対する互いの事務所の役割確認などをはじめ終始和やかな雰囲気で懇談を行いました。田舎者の私は、上海タワーの写真を沢山、撮影しちゃいました。

 

■夕食、散歩

その後、楊民先生の案内で、外灘 で夕食を食べました。北京ダックをはじめ、非常においしい食事をいただきました。ここでも、楊民先生のおもてなしをうけ楽しい食事をすることが出来ました。

食事の後は、上海の夜景を楽しんで、メインストリートの南京路を歩きました。中国は翌日から大型連休の国慶節ということもあり、ものすごい人の量でしたし、ありとあらゆる所に警官(軍隊?)の人が立っており、交差点では人間遮断機といわれる警官が並んで行進し、人の往来をコントロールしていました。信号を守らない人が多いのかな??

 

■観光

翌日は、楊民先生の案内で、豫園という庭園に行き、南翔饅頭店で小籠包をたらふくいただきました。有名なお店で、地元の人も多数来ており、朝7時30分にホテルを出ましたが、着いたときには既に並んでいました。店の入り口に並ぶのではなく、テーブルに並ぶというルールらしく、テーブル付近に並びました。食べている人はプレッシャーですよね。

その後、朱家角水郷に行きました。柳川に似た風景でしたが、国慶節ということもあり、非常に活気あふれる町でした。中国のエネルギーを感じる、そんな観光になりました。その後、蘇州に行き、上海蟹をいただきました。100軒以上の蟹料理店が並んでおり、圧巻されました。無言で食すこと1時間完食した後に気が付きました。「あっ写真撮ってない、証拠残してなかった。しょうがない残骸だけ撮っとこ・・・証明力があるだろうか・・・(あまりに汚いので掲載出来ません(笑))。」あまりのおいしさに弁護士として忘れてはならない、証拠を残すことを忘れてしまいました。

 

道中、同じ形をした高層マンションが連続して何棟も建っているのを何回も見ました。上海では、これらのマンションが1億円を超える価格で取引されているそうです。1億円を超える価格のマンションをローンであっても買える人がこんなに沢山いるなんて、すごい。また、渋滞も日本の比ではありませんでした。乗用車は国慶節の間は、高速料金が無料になることもあり非常に多くの乗用車が移動するようです。皆、車線移動をガンガンするので、何回もぶつかりそうになり、ひやひやでした。

中国の人口の多さ、経済力を目の当たりにした上海視察でした。

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